外山からたどるNBAの栄光とbjリーグのもたらすもの(1)
アイシンの外山選手が引退を決めた。
日本のバスケットボールに関する過去の記録や出来事を紹介している「なみおかでーたらんど」に外山語録があると知り、閲覧した。華やかなプレーヤーの真意を引退後に知ることができた。
同サイトのコーナー『日本バスケットボール界、こんな人いました!』の「外山語録」に触れる前に、余談だが同ページの上の方に見つけた松下の懐かしい外人選手二人に触れておきたい。
1974年に「ハーレムグローブトロッターズ」からのオファーを蹴って、ハワイ松下に入社したハワイ大学出身のジェローム・フリーマン。
高校のバスケ部の先輩から「フリーマンは凄かった!」と聞かされたのを思い出す。
その先輩から譲ってもらった雑誌でしかお目に掛かったことがないのが残念だった。
高校のバスケ部の先輩から「フリーマンは凄かった!」と聞かされたのを思い出す。
その先輩から譲ってもらった雑誌でしかお目に掛かったことがないのが残念だった。
Shyなオールラウンダー、ラリー・ジョンソンはわたしのヒーローだった。
1977年にNBAにドラフトされたが、松下系の現地法人に入社し研修扱いで来日したと、このサイトで知り驚いた。
アウトサイドはそれほどうまくなかったと記憶するが、しつこいリバウンドと力強く意地で決めたゴール下のプレーは豪快かつ華麗だった。
1977年にNBAにドラフトされたが、松下系の現地法人に入社し研修扱いで来日したと、このサイトで知り驚いた。
アウトサイドはそれほどうまくなかったと記憶するが、しつこいリバウンドと力強く意地で決めたゴール下のプレーは豪快かつ華麗だった。
さて「外山語録」を覗いてみよう!
身長が高2から伸び、インターハイ/国体を経験。青学大当時はインカレに進み、熊谷組では日本リーグ新人王、翌1990年にはMVPの栄冠に輝き、97年には大和證券で日本でのプロ契約選手1号となった訳だが、インタビュー語録をまとめてみると93年に3つの思いを語っている。
<1>スター意識を持ち、ゲームを愉しみ、観る人に感動を与えたい <2>プロ化によるレベルアップを経て、オリンピック出場を夢見たい <3>全日本選手の尊厳を守って欲しい
2については、どちらも実現不可能を予測し、プロ1号となることでバスケのプロでやっていけるということを身を持って証明し、リーグのプロ化を強く願った。
3については、選ばれし者の待遇の悪さを嘆き、彼に限らず「全日本より所属チームに貢献した方が愉しい」と思わざるを得ない環境は、昨今の代表辞退にも通じるものだろう。
こうしてみると、bjリーグ・コミッショナー:河内さんと【バスケに込めた思い】は変わらないのだと彼が引退した今、わたしは理解できた。
思い起こしてみると、コート上の外山選手の笑顔は「バスケって楽しいョ!」と語っていた気がする。
それが彼の主張であり存在価値だったのだ。
それが彼の主張であり存在価値だったのだ。
※河内さんの本:「意地を通せば夢が叶う!」の感想は別途書きます
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コメント
ども、hamaです。189cmです。そのころのPanaは平均で196ぐらいあったので、ちびい方でしたね。
ラリーさん、そう。よく笑ってました。
投稿: nao→hama | 2006年5月23日 (火) 02時44分
後にホーネッツのグランマ・LJが登場して、名前が同じで最初はラリー・ジョンソンの名前に慣れなかったのを思い出します。
naoさん、4年も一緒でしたかぁ。いいなぁ。
ということは、naoさんも長身ですか?
シャイだけど、ラリーもよく笑ってましたよね。かわいい笑顔が印象的でした。
投稿: kawashiman | 2006年5月 4日 (木) 10時18分
ども、naoです。懐かしい名前が…。ジェロームフリーマン、”フックさん”ハワイで一度お会いしました。プレイヤーとしてかぶってません。ラリージョンソン、4年一緒にプレイしました。ちなみに私は練習要員でしたが…脱線。(笑)
あちこちのサイトで語られている”外山10年早かった論”私も賛成です。時代が彼について行って無かったですね。bjのような土壌でこそ彼の生きる道があったのでは?ここらで本気で改革していかないと、何十年というスパンで遅れを取る気がします。
もちろんアジアからも。
投稿: nao | 2006年5月 4日 (木) 03時20分